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この構図はインターネットの掲示板などにも及び、その他の候補地が出ると、九州説、大和説の双方から攻撃を受け、あえなく沈没する
両説論者は狂的な信者とでもいうべき、執着気質の人が多く他論に耳を傾けようとはしない、新興宗教団体の信者の様に似ている
両説の論者が中身のある議論をしているのかと思って、のぞいて見ると魏志倭人伝の一字一句の解釈をめぐって延々と自説を述べ合う
という、およそ議論とはいえないような議論が多いようだ どちらかというとマニアによる議論する悦びに浸っている趣である
邪馬台国の所在地論争は江戸時代の新井白石・本居宣長から延々と続いている、どうどうめぐりの議論で、いまだに結論が出ていない
考古学上の発見が相次いで結論が出るのかと思っていると、ますます謎が深まるばかりで、混迷の度を深めるばかりが現状である
両説の学者は双方が我が方の勝利と口角泡を飛ばす勢いで勝利宣言したりしているが、いずれも確定には至らない妄信の論のようだ
こうなって見て、邪馬台国論争を俯瞰してみると、九州説、大和説の二大勢力が激しい論争をしているが双方とも違うため
100年議論しようと、300年議論しようと結論が出ない、つまり現状維持ということになる
むしろ本当の所在地を隠すために両説が永遠に議論することが一番望ましい、そうすれば永遠に真相は闇の中に葬れる、ということになる
真相が明るみに出ないほうが望ましい、永遠の闇であって欲しいと考える人は、二説の永遠の議論が続くことこそ理想的なのだろう
現実にインターネットの議論など両説の揚げ足取りに終始しているだけで、真実の解明意欲など毛ほども感じられない
両説以外の異説が出ると、冷笑して無視するか、両説派が総がかりでつぶしにかかるというのが実情である
およそ真実の解明に取り組む学者の魂など毛ほども無く、曲学阿世の徒が邪馬台国所在地論争の両説派に群がっているというのが現状だ
邪馬台国所在地論争の基礎になるのは卑弥呼とほぼ同時代に生きた、魏の後継の晋の著作朗であった陳寿が書いた三国志の中の
魏書東夷伝倭人条の2008文字である 大昔の書にしては倭人について詳しく中身が濃い 官人の著だけに信頼度は高い
両説派はこの魏志倭人伝の2008文字の文字の中で、自説に都合のいい部分だけを取り出し、自説にこじつけるという作業に終始している
魏志倭人伝の2008文字の全文を通読すれば、両説とも決定的な矛盾が出てくる
大和(畿内)説は、魏志倭人伝に書かれた習俗が裸足、文身など南方の習俗、東に向けて海行できないなど決定的な矛盾が生じる
また九州説は邪馬台国の女王の卑弥呼が倭国大乱のあと共立されたのに、九州には倭国大乱の痕跡が見られないなどの矛盾がある
また魏志倭人伝の行程をそのまま地図上で計測すると、邪馬台国は九州の南の大海の中ということになってしまう
両説とも、魏志倭人伝を通読すると決定的な矛盾点がある
これでは永遠の堂々巡りの議論になってしまって当然である
その点で邪馬台国吉備説は通読してみても矛盾点は生じない、むしろ自然な感じを受ける
南方の習俗、植物、動物、温暖な気候、出土されたト骨、倭国大乱の避難用の臨海性高地性集落の跡、楯築遺跡、造山古墳
製塩用の土器、埴輪、特殊器台、上東遺跡、加茂遺跡、、、「邪馬台国は吉備国だった!」を裏付けるものばかりだ
邪馬台国所在地論争も先入観を持たず、魏志倭人伝の通読、考古学上の発見物との整合性、古事記・日本書紀などとの整合性などを
虚心坦懐に分析するべき時期に来ているようだ そうしないと永遠の堂々巡りの議論に陥り、歴史の真実は永遠に明らかにならないだろう
邪馬台国の所在地の確定は日本の歴史にとっても画期的に有益なことであり、虚心坦懐に真実の解明に取り組むべき重大事だろう
現今の曲学阿世の徒が、邪馬台国所在地論争で真実を歪めていることは、見るに耐えないものがある
両説派とも、意図的に真実からミスリードしているさまが、それぞれの書物から見受けられるのは、まことに残念である
このあたりで虚心坦懐に歴史の真実に向き直るべきであろう
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