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卑弥呼が即位したのは2世紀の西暦188年ごろとされているから2世紀の始めごろから倭国で各部族が7、80年ほど戦争をしていた
戦争に疲れ果てた各部族が困り果てて一人の女子を共立してようやく戦争が治まったということだろう
最近の考古学上の発見によると、2世紀ごろの戦争の跡は主に瀬戸内地方の高地性集落に多く見られるという
瀬戸内地方つまり瀬戸内海の両岸の岡山、広島、香川、愛媛などで倭国大乱の戦争の跡が残っているという
吉備地方にも倭国大乱の跡があるが、けっこうな高地でこんな高いところでなぜ?と思われる場所が多い
低地では危なくて住めなくて山奥の高地に逃げ込んだものだろう 戦闘の激しさをうかがわせる話だ
邪馬台国の卑弥呼の共立の動機が、戦争の激しさ、長期間、、、に疲れ果てて、共同で一人の女子を擁立させることによって治まった
ということは2世紀の倭国大乱のあった地域に邪馬台国がるということになる
まさか東北地方で戦乱があったから、沖縄で王を擁立ということにはならないだろう
おそらく倭国のほぼ中心に位置する地域、比較的大きな部族のいる地域に共立しようとするのが自然だろう
大和や九州で2世紀の戦争の跡が考古学上で多く発見されたとは聞いていない、瀬戸内地方では戦争の跡が多く発見されている
この2世紀の倭国大乱の戦争の跡の分布図を見れば、一目瞭然に邪馬台国の所在地が特定できるだろう
この倭国大乱の件からしても、邪馬台国は瀬戸内地方のほぼ中心地、吉備国であるといってもいいだろう
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