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邪馬台国は吉備国だった!

日差山の風見岩から岡山平野を見る

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倭人はみな裸足である、奈良盆地の冬は寒く、裸足では無理


041014
魏志倭人伝(正確には魏書の烏丸鮮卑東夷伝の倭人の条)を読むと
原文 倭地温暖冬夏食生菜皆徒跣
訳文 倭の地は温暖で、冬も夏も生菜を食する みな徒跣(はだし)である 安本美典著 「邪馬台国への道」より

奈良盆地の冬の寒さは厳しく、とてもではないが跣(裸足)で生活できるような場所では無い 昔も今もあまり変わらないだろう
魏志倭人伝を読むと南方系の生活スタイルということがよくわかる 例えば沈没して魚や蛤を取る、入れ墨をしている
服装は広い布を結ぶ合わせただけでほとんど縫うことがない、作った衣は単被(ひとえ)のようでいわゆる貫頭衣
みな裸足で生活し冬も夏も生野菜を食べる これらの生活スタイルを見ると南方系の生活スタイルで寒いところではない
奈良盆地では幅広でスカスカの単被(ひとえ)のような貫頭衣で裸足で生活することは到底無理、風の被害もない温暖な地だろう
九州の場合は台風の被害があるはずで温暖な地とは決して言えないだろう 温暖といえばイメージにピッタリなのは吉備だろう

鉱産物は、真珠、青玉、丹(あかつち)がとれる 岡山県の西部は鉄分を含む赤土の土地が多い
植物は、たぶのき、とち、くすのき、くぬぎ、杉、かし、やまぐわ、かえでなどがある 皆、岡山に生えている木だ
竹には、しの、やだけ、かずらだけ などが生えている 岡山に普通にあるある竹だ 
食べない植物には、しょうが、たちばな、さんしょう、みょうがなどがある 岡山には普通に生えている
動物には、おおざるや、くろきじがいる 倉敷市の日差山には今でも黒雉(黒きじ)が多い(実際は茶色)

上記のような生活スタイル、食物、動物などを見ると、温暖な地で魚を取ったり、野草をとったりしながら生活していることがわかる
裸足でスカスカの貫頭衣を着て生活できる温暖な場所が邪馬台国であることがわかる
奈良盆地のような寒さ厳しいところとは、とうてい思えない また台風被害の激しい九州が温暖な地と表現されるだろうか?
邪馬台国の植物、動物、鉱産物などを見ると奈良盆地では見られないようなものも含まれており、その点からも大和ではない

倭を回ると五千余里と魏志倭人伝に書いてある
原文 問倭地絶在海中州島之上或絶或連周旋可五千余里
訳文 倭の地を参問するに、海中州の上に絶在している。あるいは絶え、あるいは連なりめぐりまわれば五千余里ばかりである

倭の国についていろんな人に聞いてみると海の中に島がポツンとあったり、連なってあったりして、全部回れば5000余里だという
大和説にしても九州説にしても大きな大陸の一部を邪馬台国の場所としているので、周旋(まわりめぐる)するという言葉は似合わない
単に行くとかいう言葉が似つかわしい
その点、吉備は吉備の穴海と言われていたように、現在の吉備津神社も津と言う言葉があるように港であった つまり海がかなり
深いところまで入り込んでいた 日差山も大きな島であったことだろう 川上町の元伊勢・穴門山神社の付近で神宮皇后の船着場という
伝承が残っているくらいだから、かなり北のほうまで海が入り込んでいたものと思われる
その島々をめぐりめぐると合計で五千余里になるということだろう これには広島県の安芸のほうの島々も含まれていることだろう
要するに倭の国は島々に囲まれており海の中の海洋国家というイメージを示しているのであって陸地国家では無い
大陸の一部のような陸地国家ではないということを魏志倭人伝は明確に示している
海洋国家というイメージに一番近いのは、吉備国のイメージが一番ピッタリしているということがいえる

またト占(骨を焼いて占いをする)をする風習があると魏志倭人伝に書いてあるが、楯築遺跡の近くからト骨(ぼっこつ)が出土している
出典は黒岩重吾著の「古代史を読み直す」だが、その中に
「楯築遺跡のすぐ近くからは、ト骨も出土している。この占を読み取っていた人物が王墓山丘陵の墓に葬られたのかもしれないというわけですね。」
と書いてある 原典はなにかは知らぬが、ト骨が出土したということは魏志倭人伝の記述そのままが吉備にあったということになる
ト骨の出た遺跡は確認していないが、楯築遺跡の南3キロの上東遺跡か?北3キロの加茂遺跡あたりだろうか?

岡山市の加茂遺跡から出土のト骨

楯築遺跡から北へ3キロほどの岡山市加茂から出土したト骨 岡山県立博物館発行 「邪馬台国への道」より

その他の邪馬台国・吉備説としては、広畠輝治(ジャーナリスト)著 の 
「邪馬台国」岡山・吉備説から見る古代日本の成立 という本が2002年4月に神無書房から出版されている
古事記、吉備の特殊器台と特殊壺が進展し、大和では円筒埴輪となった、、、、などと多面的に吉備・邪馬台国を立証している

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