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●名前 伊勢新九朗長氏、伊勢新九朗盛時、平盛時、出家後は早雲庵宗瑞と名乗る、北条早雲は後世に呼ばれた名前
●生涯 1432年に伊勢盛定の二男として井原市高越城で生まれる〜1519年
●父親 伊勢盛定(備中国荏原庄の領主)1452年ごろ室町幕府に出仕、備前守に任ぜられる
・1450年 丹波国玉雲寺の古かん仁泉(こかんじんせん)和尚を招き、曹洞宗の寺として開山、現在の宝泉寺
●母親 京都伊勢氏の当主で政所執事の伊勢貞国の娘
●履歴
・1464年 伊勢新九朗長氏が8代将軍の足利義政の実弟の義視(よしみ)の近侍になる
・1467 応仁の乱で義視とともに伊勢に逃げる
・1468年ごろ 妹が駿河の守護大名の今川義忠の正室・北川殿だったので、そのつてで駿河に移住、後、おいの氏親が家督相続、京都に移住
・1470年 伊勢に逃げていた伊勢新九朗長氏が、故郷の高越城に戻り、井原市神代町西側の新九朗薬師堂に新九朗薬師を祭る
・1471年 文明3年6月2日 伊勢盛時、備中国法泉寺に禁制を下す(法泉寺文書)
・1482年 文明14年9月 伊勢盛時、守護代庄元資の被官渡辺帯刀丞に借銭を返す(賦引付)
・1483年 9代将軍の足利義尚の申次衆(もうしつぎしゅう)になり、諸国の情報収集の任に当たる(長禄二年以来申次記)
・1487年 今川氏親が元服まで暫定当主だった小鹿範満が地位を譲らぬため。これを討つ 駿河東部の興国寺城と富士下方12郷を貰う(得願寺過去帳)
・1487年長亨1年 宗端の長男の氏綱が生まれる
・1491年延徳3年 伊勢盛時、今川氏親あての、幕府奏書を伝達する(北野社家日記)
・1492年明応1年 伊勢盛時、室町幕府奉公衆として見ゆ(東山殿時代大名外様附)
・1493年明応2年 この年、宗端、伊豆に討ち入る(勝山記)
・1495年明応4年 この年、宗端、8月甲斐に討ち入り、武田信縄と和す(勝山記)このころ、相模小田原城を乗っ取る
・1501年文亀1年 この年、9月18日宗端、甲斐吉田に出陣、10月3日退却(勝山記)
・1518年 家督を長男の氏綱に譲る 北条姓を使い始めたのは氏綱の代から
・1519年 宗端、伊豆韮山城にて死去(北条家過去帳他)
・1715年 井原市東江原森谷の代官庄屋だった平井氏が東江原町の急な斜面の岩肌に供養碑(背面に晋早雲寺殿天岳瑞公大居士墳)
●早雲祭り 毎年4月の第1日曜日 高越城跡(祭り実行委員長 樫原一道さん)神楽などもある 0866-62-8850井笠地域地場産業振興センター
■ 北条早雲(伊勢新九朗長氏)の年表 ■
西暦 和暦 年齢 出来事
1 1432年 永享4年 荏原庄(岡山県井原市)で北条早雲生まれる。
2 1464年 寛正5年 33才 この頃足利義視の近侍となる。
3 1467年 応仁1年 36才 応仁の乱で足利義視に従い伊勢に下る。
4 1468年 応仁2年 37才 妹の嫁ぎ先である今川家に請われて駿河に下る。
1470年 文明2年 39才 この頃故郷に帰り法泉寺の改修・造営を行う。
神代町小迫に薬師如来を祀る。
1471年 文明3年 40才 法泉寺造営に当たり▼禁制を出す。
5 1476年 文明8年 45才 今川家の家督争いを治める。
6 1479年 文明11年 48才 上洛。
1483年 文明15年 52才 幕府の申次衆となる。
1484年 文明16年 53才 この頃法泉寺に▼摺り袈裟を寄進する。
7 1487年 長享1年 56才 駿河に下り、小鹿範満を討ち、おいの氏親を駿府城主とする。
8 1487年 長享1年 56才 興国寺城主となる。
9 1493年 明応2年 62才 堀越御所の足利茶々丸を攻める。
10 1495年 明応4年 64才 大森藤頼の小田原城を攻略する。
11 1516年 永正13年 85才 新井城に三浦義意父子を滅ぼす。
12 1519年 永正16年 88才 韮山城で北条早雲没す。
1521年 大永1年 氏綱、早雲の遺言により、箱根湯本に早雲寺を創建する。
その後、2代北条氏綱の時代で武蔵国安房国などを支配。3代氏康に関東一円を手中に収めたのである。
「この男から戦国時代が始まった」といわれる北条早雲、元の名前は伊勢新九郎長氏、備中地方、現在の岡山県西部の井原市の出身
備中から京都を経て、駿河の今川家の家来になり、下剋上でなり上がり、最後は小田原城の城主となり、関八州を制覇した
戦国時代初期のなり上がり大名だが、出自には諸説あり、備中説、京都伊勢氏説、伊勢説、素浪人説、、など多数あり論争を続けていたが
最近は、研究が進み、備中説で落ち着いてきたようだ
出自に諸説あることからも、わかるように一種、謎に包まれた男が北条早雲だが、備中から駿河に行き、裸一貫から関八州の太守に
成り上がった男だけに興味が尽きない
当初は、素浪人からなり上がったという説が有力だったが、その後は足利幕府の高級官僚が一国一城の主になり上がったというように
変わってきている なんといっても備中地方の出身だけに遺跡や資料が豊富なのが地元の強みだ
地元の利を生かして、北条早雲(伊勢新九郎長氏)について調べてみると、いろいろ面白いことがわかった
従来、妹の嫁ぎ先である今川家に仕官したということになっているが、「中国兵乱記」(1615年元和元年中島元行著)によると
妹ではなく伯母だと書いてある つまり今川五郎氏親の妻の北川殿は、北条早雲の伯母だと書いてある
「中国兵乱記」の著者の中島大炊助元行は元賀陽郡刑部郷経山城主(現総社市)であり、豊臣秀吉の備中高松城の水攻めのときに
高松城に切腹した清水宗治などとともに篭城した武将である 北条早雲は戦国初期の武将で中島元行は戦国後期の武将で
やや時代は下っているが、北条早雲(伊勢新九郎長氏)の一族の伊勢兵庫助貞勝の妻は中島元行の兄弟であり、北条早雲の正確な情報を
つかめる位置にある
「中国兵乱記」によると、北条早雲の先祖は平重盛(小松内大臣)で、その17代の後胤の伊勢駿河守であり、備中国薗井村に土着し
後月郡江原の高越山に居城を築いて、禅宗を信仰し長谷山法泉寺を建立した
園井村の古城主の伊勢新左衛門貞春の一族の「伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)は、近郷の名家の子どもの内藤・笠原・二階堂・清水
大道寺・松田・井上・平井などの勇士30人を引き連れて、諸国へ武者修行に出た」と書かれている
今で言えば、「東京へ行って一旗上げよう」と、村の若い衆が集団で旅立ったということであろうか?
その後、駿河の今川家に仕えて、運と才覚と度胸と謀略で関八州の太守になり上がった北条早雲だが、その家来に内藤や大道寺などの
名前が見えることからして、備中から連れて行った村の若い衆かもしれない
「備中兵乱記」の著者の中島元行の曽祖父は中島政行(大永5年没)という大倉少輔で足利幕府の源(足利)義植の命により
備中国片島(現倉敷市片島)に居住、その後、備中国刑部郷(現総社市)経山城に移住した
北条早雲も一時、足利幕府に仕えており、中島一族と伊勢一族が姻戚関係にあるところから見ると、かなり親しい、近しい関係にあったようだ
謎に包まれた、謎の多い北条早雲の前半生だが、現在、巷間いわれているところの足利幕府の高級官僚という位置づけは地元の資料などを
見る限り、やや無理があるようだ 幕府や今川家に手づるがあったことは確かなようだが、いわれているほどの高級官僚では無いだろう
驚くべきことに北条早雲が一国一城の主になったのは56歳、小田原城を謀略で攻め取ったのは68歳、いわゆる遅咲きの花だ
いずれも謀略と奇襲で城を攻め取ったようだが、なにか海賊のやり方を想起させる手口のようだ
井原市は隣に笠岡市があり、この笠岡から海賊の能島水軍、来島水軍、因島水軍の海賊衆が出ている 地理的に近い位置にあり
昔から、海賊の仕事振りを見たり、聞いたりして育ったのかかもしれない
いずれにしても、備中の片田舎から出発して、徒手空拳で関八州の太守にまで上り詰めた北条早雲は一代の傑物だろう
なかなか、面白い人物も、岡山から出ているようだ
■ 北条早雲(伊勢新九郎長氏)の遺跡■ ▼ 高越城址 蒙古襲来に備えて築かれた山城で、室町時代に伊勢氏の城となりました。南に旧山陽道と小田川を望み、山頂からは360度の展望が開けます。「北条早雲生誕之地」と巨大な石碑も立っています。 ● 法泉寺 高越城主、伊勢新左衛門盛定(早雲の父)が建てた伊勢氏の菩提寺で、古じゅん仁泉和尚が開山。 早雲も改修・造営を行い祖先の菩提を弔っています。 住所 ■ 岡山県井原市西江原町4841 電話 ■ 0866-62-1660 ▼ 摺り袈裟 伊豆の修善寺に納められ広く信仰されていたものを早雲がもらい受け、法泉寺に寄進したと伝えられています。 ▼ 早雲筆禁制 法泉寺にあり、早雲の備中出身説を裏付ける貴重な資料です。 ■ 早雲と父の墓 法泉寺の境内にある2基の室町時代の五輪塔は、父定盛と早雲の墓(写真左)と伝えられています。 ■ 新九朗薬師堂 室町時代の薬師如来で、早雲が祀ったと伝えられており、、背中には「祈願主新九朗」と書かれています。 ■ 大岩刻早雲供養碑 伊勢氏の家臣だった平井氏が、早雲200年忌に彫った供養碑。大岩には「普早雲寺殿天岳瑞公大居士墳」と記されています。
↓振込み口座↓
●○●○●○●○
ジャパンネット銀行 普通預金 001−1125752 クボコウゾウ
●○●○●○●○
出張サービスは、サポート会員特別価格 2時間 5000円です(遠方の場合は行き帰りにかかった時間も含まれます)
教習科目.....ウインドウズ95、98、インターネット、メール、CD−RW、ネットワーク
.............ホームページ、ワード、パール、C言語、サーバー、ストリーム 他
授業料.......2時間、10,000円
.............(岡山市、倉敷市以外は 出張料5,000円加算)
●メールでの、ご相談・申し込み●..... wtfront@yahoo.co.jp
●ケータイでの、ご相談・申し込み●.....080−3051−5480 久保まで
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