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美作市大宮山:豊國神社(タカオカミ、クラオカミ)
同 滝宮 :天石門別神社(アメノイワトワケ)
那岐町 :那岐山(イザナミ・イザナギの降臨の地)、諾神社(イザナギ)
津山市綾部 :綾部神社(オオミヤノヒメないしアメノウズメ)
同 下高倉:高倉神社(イザナギ・イザナミ、ツキヨミ、スサノオ等)
同 大篠 :大佐々神社(イザナギ、ツキヨミ、タカオカミ、オオナムチ等)
同 一宮 :中山神社(イシコリドメ、鏡作神)
同 上横野:高田神社(アメノコヤネ)
鏡野町香々美:大美弥神社(オオミヤヒメないしアメノウズメ)
同 河内 :久田神社(タカオカミ、ハニヤマヒメ、ワカヒメ、オオヤマツミ等)
同 富西谷:布施神社(スサノオ、クシナダヒメ)
真庭市 木山:木山神社(スサノオ)
新見市豊永赤坂:比売坂鍾乳穴神社(イザナギ・イザナミ)
同 神郷油野:杉戸神社(アメノコヤネ、アメノフトダマ、アメノウズメ、アメノタジカラオ)
以上は代表例で、詳細は添付資料をご覧下さい。このルートは伯耆・蒜山高原、比婆山・出雲の2方向につながりますが、
このルートの中に、イザナギ・イザナミ、その子供達(太陽神オオヒルメ、月神ツキヨミ、嵐神スサノオの三大神や
オオヤマツミ、クラオカミなど)、高天原の神々が勢ぞろいしていると言っても過言ではないほど、凝縮しています。
ことに五伴緒(但しタマオヤを除く)の神々が一ヶ所に集中している地域は岡山県でもこの地域だけで、
日本の他の地域にも見当たりません。
(イザナミ・イザナギ神話の根源地)
イザナギ・イザナミ神話は根源地として
@淡路島の伊弉諾神宮
A近江の多賀神社
B紀伊半島の新宮市の熊野速玉大社と熊野市の花の窟
C那岐山
D備後の比婆山
E島根県の安来市伯太町の比婆山と広瀬町の御墓山
F東出雲町の揖夜神社
が知られています。
古事記と日本書紀を比較していくと、古事記は島根県や鳥取県の日本海側の伝承を元に、
日本書紀は瀬戸内海側の伝承を主体にまとめられたことが分ります。両者の違いの一例として、
イザナミが火の神カグツチを生んだ際に焼かれて死んだ後、「根国」に行くか「黄泉路」に行くかを挙げることができます。
根国はスサノオの宮殿もあり、太平洋の黒潮に乗って辿りつく明るいイメージがあります。
また熊野地方にはインドのガンジス河と同様に水葬の風習もあったようです。
黄泉路への入り口は陰湿な洞窟のイメージを与えますが、奈良時代に行基が作った三尾寺の鎮守の神として鍾乳洞の上に
イザナギ・イザナミを勧請した伝承が新見市の比売坂鍾乳穴神社にあるように、中国山地に多い鍾乳洞が思い浮かびます。
このため根国の入り口は熊野市の花の窟、黄泉路の入り口は新見市周辺の中国山地、瀬戸内海東部で発生した
イザナギ・イザナミ神話が津山盆地に入ってさらに発展してクラオカミや剣神のタケミカヅチとフツヌシなどの神々が新たに加わった、
と考えると論理が合います。
熊野信仰の根源地は島根県の熊野大社で、大和を通じて紀伊半島に熊野信仰が入ったとする説がありますが、
私は出雲の本来の国産み神は、出雲風土記の冒頭に登場する、新羅、隠岐、北陸から岬を引っ張ってきて国土を広げた
ヤツカミズオミズ(スサノオ系図ではオミヅヌ)の系譜で、イザナギ・イザナミ、スサノオ神話は弥生中期に
美作から伯耆と備後の2ルートで出雲に入ったのではないかと推定しています。
(高天原神話の根源地)
高天原・蒜山高原説は岡山県では支持者が少なく、むしろ鳥取県で支持者が多いようです。
実際に蒜山高原は伯耆、出雲文化圏に近いですし、津山や岡山よりも倉吉の方が近距離です。
私は蒜山の山麓から弥生中期・後期の祭祀遺跡と分銅形土製品が発見されるなら、という条件付きで蒜山高天原説をとっています。
蒜山高原の茅部神社から朝日に照らされる蒜山三山を見た後、徳山神社に向かって下って行くと、左に大山の雄大なパノラマが開けます。
両者の間が山陽と山陰の境となり、大山の神様がオオナムチではなく月神だったなら、
間違いなく高天原は蒜山高原だったと認知されるのにと嘆息しました。
ところが美作盆地にも高天原の神々の痕跡があります。鏡野町と香々美の地名はズバリ「鏡」ですし、
津山市一宮の中山神社の祭神イシコリドメも鏡作りの神ですから、この地域が銅鏡の産地であったことが類推できます。
また津山市の綾部、美咲町の錦織の地名から、津山盆地は養蚕と絹織物の産地だったことが分ります。
アメノウズメは絹の織姫の象徴かも知れません。
五伴緒を主体とする高天原の神々が集中しているのは、岡山県でも美作だけですし、意訳すると高天原と言える「大神宮原」が
鏡野町奥津にあります。周知のように中国山地には神郷、神庭など「神」がつく地名も多く、蒜山高原とは断定できませんが、
中国山地のどこかに間違いなく高天原と呼ばれる地があったのだと確信します。
(スサノオとヤマタノオロチ神話)
日本神話の不可解な点は、高天原で狼藉を働き、追放された悪人のスサノオが地上に下ると善人になって、
国土開発の英雄となることです。瀬戸内海地方から伝わった風神スサノオと、中国山地のヤマタノオロチ英雄神話が
津山盆地で融合したと考えると成る程と納得できます。
瀬戸内海の弥生文化と中国山地の縄文文化が津山盆地で融合して、日本神話の核が成立したと考える次第です。
(スサノオの天下り神話)
高ノ峰は仏教でも美作地方で最古と言われる本山寺の霊山ですが、頂上付近に太陽神を祀る神峰伊勢神社、オオナムチを祀る神峰神社、
山麓にスサノオが剣を洗った血洗いの滝、剣山に剣祓神社、アマテラスとスサノオの対決で生まれた八神(五男神と宗形三女神)のうちの
三女神を祀る宗形神社があり、現在は是里四古社として宗形神社に合祀されています。
高の峰の美作側の美咲町では錦織神社、榊葉神社、上山宮でスサノオが祀られており、上山宮の近くに「八神」の地名もあり、
スサノオとの関係が濃厚に存在します。吉井川を渡るとつい最近まで東洋一の硫化鉄鉱山として栄えた柵原(やなはら)鉱山跡や
月の輪古墳があります。
(剣神タケミカヅチとフツヌシ)
私が注目している点は三角線の真ん中にある石上布都魂神社と岩神神社です。石上布都魂神社は日本書紀にも登場する備前一宮で、
日本書紀ではスサノオの剣を祀っていると伝えますが、剣神であるフツダマないしスサノオが祭神です。
岩神神社の祭神はタケミカヅチとオオクニヌシですが、2社はほぼ同位置にあります。
中臣氏との関連はまだ調査中ですが、邪馬台国の軍神としてタケミカヅチ・フツヌシ神話がこの地でできあがり、
大和の石神神宮(祭神はフツノミタマ)、利根川河口の鹿島神宮(祭神はタケミカヅチ)、
香取神宮(祭神はフツヌシ)の根源地であることは間違いないでしょう。
中国山地で砂鉄を使った製鉄が始まったのは、古くても応神朝の5世紀からですが、血洗いの滝を訪問した時、
案内していただいたウエブテレビの久保幸三氏から
「この地域で古くから鉄鉱石が産出され、砂鉄以前から鉄が製造されていた」という話を聞き、出来すぎではないかなと疑問に思いました。
その後、柵原鉄鉱山の存在を知り、高ノ峰周辺で技術的には初歩的でも弥生中期にすでに鉄の製造が行われていた可能性を
否定できないようです。
とすると、吉備・邪馬台国は絹、銅鏡、讃岐の麻、綿、サヌカイト石に加えて、鉄も重要資源に持ったわけです。
銅剣よりも頑丈な鉄剣により軍事力が強まり、弥生中期後半の膨張につながったと推測することができます。
鉄剣は無理としても鉄鏃(やじり)なら可能性はあると思います。
(イザナギ・イザナミ)
旧赤坂町の東軽部に天地神社と大石箱畳神社があり、近くに多賀の地名もあります。
天地神社は淡路島の岩屋の天地大神宮と同神との伝承があります。当初はもしかしたら、
この地がイザナギ神話の発祥の地かも知れないと興奮しましたが、瀬戸内海から砂川を通じて、
この地に伝わったと考える方が妥当のようです。
(大和の吉備津彦の吉備征服伝承)
弥生中期の邪馬台国の首都であったと私が考えている旧山陽町周辺では、由津里の片山神社と牟佐の高倉神社が、
吉備津彦兄弟の吉備征服伝承と関連します。本宮高倉山の山麓にある高倉神社の祭神はタカクラジと
大和・尾張系のアメノカグヤマとアメノホアカリです。片山神社の祭神は出雲系のアジスキタカヒコネですが、
吉備若日子建皇子が播磨を征伐した際に戦勝を祈った伝承があります。
兄が播磨から、弟が備前から津山盆地を経由して播磨西部の邪馬台国軍を挟み撃ちにし、
尾張系軍隊が山陽町の警護役となった光景が浮かびます。
(神武天皇の痕跡)
神武天皇一族は吉備・邪馬台国の傭兵として出発したとする説は、恐らく私が最初の提唱者と思いますが、
第2次世界大戦前なら国辱者として罰せられていたでしょう。岡山市西大寺の安仁神社と高島が間近に見れる岡山港を訪れてみましたが、
安仁神社は吉井川の河口、高島は穴海の入り口に当たり、共に要衝の地であったことを実感しました。
笠岡市の神島神社にも神武伝説がありますが、もしかしたら神武天皇は笠岡市の高島、兄のイツセは安仁神社付近に
駐屯していたのかも知れません。この地を大和政権が祀るようになったのは、恐らく崇神天皇の時代ではなかったかと考えます。
また神武天皇とオオヤマツミと大三島諸島との関係、即ち大和入りした神武兄弟のお供は
大三島周辺の海人ではなかったかと考えられますが、この話も別の機会にします。
(宗像三女神とイソタケル)
瀬戸内海沿いに沿ってスサノオの子供である宗像三女神とイソタケル関連の神社が点在します。
宗形三女神は倉敷市の阿智神社、矢掛町の明剣神社、イソタケルは玉野市の五十猛神社と
倉敷市の一王子神社と青江神社などが挙げられます。
双方とも港との関係が深く、船乗りや商人の守護神だったようですが、宗形三女神の根源的な分布は北九州の宗像大社を拠点に
瀬戸内海は備前まで、日本海は伯耆の淀江あたりまでに限られるようです。
イソタケルの分布範囲は瀬戸内海側は紀伊半島まで、日本海側は佐渡島までと広範囲にわたっており、
日本書紀ではスサノオと共に新羅に下った後、木々の種を携えて日本に来たとの描写もあります。
宗像三女神は内洋系、イソタケルは対馬海峡も渡る外洋系の海人や商人の守護神だったように感じます。
(吉備津彦の吉備征服伝承)
吉備津彦兄弟は第7代目の孝霊天皇の皇子ですから、現在の学会の解釈に従うと、実在しなかった架空の人物となります。
しかし、備前の山陽町以東を征服した後、吉備津彦軍が吉備中山の吉備津神社を拠点に、
山陽道に沿って賊(吉備・邪馬台国の残党)を追っていった痕跡として矢掛町の矢掛神社、井原市の高山千義神社があります。
また中国山地に向かうと、吉備中央町の化氣神社に吉備津彦兄弟が敦賀の気比神宮と同じ祭神である
イザサワケを祀ったという伝承があります。吉備津彦兄弟の鬼退治伝承は、温羅伝説の鬼城山に加えて、
伯耆の伯耆町と高松市の沖合いの女木島の3ヶ所にあり、平家の落人伝説と同様に、大和軍が吉備の残党を追っていった史実に
沿ったものではないかと思います。
女木島の鬼伝説は近世に作られた可能性もありますが、周辺の諸島にそうした伝承が残っていたのでしょう。
(元伊勢伝承)
垂仁天皇の皇女の倭姫(やまとひめ)が伊勢に伊勢神宮の地とする前に、崇神天皇の皇女の渟名城入姫(ぬなきいりびめ)が
アマテラスの居場所を求めて紀伊、丹後(宮津市の元伊勢籠神社)、吉備を遊歴したとする元伊勢神社伝承は、
吉備では岡山市の伊勢神宮と内宮、備中の高梁市川上町に穴門山神社、備後の福山市神村町の今伊勢神宮の3ヶ所にあります。
いずれも太陽神の根源地を求めたものと推察できます。また川上町の本社にあたる真備町の穴門山神社の祭神は
アナトタケヒメという土着神ですが、元伊勢伝承と関係があるかも知れません。
しかし思い込みだけで突っ走るのも危険です。その意味で、石川県金沢市に在住の石原周次氏がキャンピングカーに乗って
「山岳信仰の山2000に挑戦」されているホームページを参考書として活用させていただいており、
この場を借りてお礼を申し上げます。神道、仏教にこだわらず、霊山と思われる地を巡る訪問記ですが、
沖縄から北海道までほぼ全都道府県の霊山を踏破されています。事前に詳細に調べられ、訪問地の歴史、植生、風景や現況を
まとめています。出雲の東出雲町のご出身で神話にも造詣が深いようですが、邪馬台国とは全く関係がないため、
逆に九州の筑前、筑後、宇佐・豊前、日向、出雲地方、大和地方、近江と鈴鹿山脈、茨城県など神話との関りが深い、
各地の客観的な状況を把握できます。
以下、箇条書きで弥生前期から古墳前期の流れをまとめてみます。
1.弥生時代前期
@中国の揚子江河口流域から水稲文化が伝わり、淡路島を中心とした地域(播磨、摂津、和泉、紀伊)で
イザナミ・イザナギの国生み神話が成立。
A国生み、神生みの後、イザナミは火の神カグツチを生んでホトを焼かれて死に、間際に五穀の神ハニヤマヒメを生む。
イザナミは花の窟から太平洋の彼方の根国に入り、イザナギミを根の国に送ったイザナギは淡路島に戻り、
禊をした後、多賀の地に幽閉した・・・という単純な構成だった。
Bイザナギ・イザナミ神話が近江の多賀(多賀大社)と津山盆地(那岐山)のニ方向に伝わる。
2.弥生時代中期
@吉井川を縦軸として、讃岐、備前、津山盆地で吉備・邪馬台国の母体が成立。
A津山盆地で水稲、青銅文化と養蚕・絹織物文化が発展し、人口が増大。
Bイザナミ・イザナギ神話の黄泉路編が発展し、タケミカヅチ・フツヌシ、クラオカミなどの神々が加わる。
C中国山地の太陽神信仰とヤマタノオロチ英雄神話が加わり、アマテラスの岩戸隠れ、高天原、ヤマタノオロチ神話が生まれ、
播磨と出雲のニ方向に伝わる。
D赤磐市の旧山陽町が邪馬台国の首都となり、美作の勢力が出雲と伯耆を征服した。その後、大膨張をして、西日本の覇権を握った。
その際に日向の神武兄弟が傭兵として雇われ、北九州、広島の府中町、吉備の高島を経て、吉備・邪馬台国の協力を得て、
大和に進出した。
3.弥生時代後期
@吉備・邪馬台国の首都が山陽町から吉備中山山麓の足守川河口地域に遷都。
A高天原、スサノオ神話等の祭祀、儀式が整備される。
Bオオナムチ信仰が吉備・讃岐ではオオモノヌシ信仰、出雲ではオオクニヌシ信仰になる。
4.弥生終末期
東海地方の征服で国力を高めた大和・狗奴国が、近江、山城、丹後の一部、摂津を支配下に置いた後、
播磨の加古川を拠点に吉備・邪馬台国への攻撃を開始。吉備征服に成功し、北九州まで西日本を支配下に置いた後、東国への進出を進める。
5.古墳前期
崇神天皇の時代に日本統一事業が完成した後、祭祀儀式の整備など、大和を中心とした国家体制作りが進められた。
吉備では、神武兄弟伝承の地が確定され、元伊勢の地の探索も行われた。
○イザナギ・イザナミ
美作:那岐町(成松・諾神社)、津山市(下高倉・高倉神社、大篠・大佐々神社)
備前:赤磐市(東軽部・天地神社、東軽部・大石箱畳神社)
備中:新見市(豊永赤坂・比売坂鍾乳穴神社)
○太陽神(オオヒルメ、アマテラス、ワカヒメ)
美作:鏡野町(河内・久田神社)、真庭市(蒜山・茅部神社、蒜山・日留神社)
備前:赤磐市(是里・神峰伊勢神社)、
岡山市(番町・伊勢神社、浜野・内宮)
備中:(元伊勢伝承)高梁市(川上町・穴門山神社)
備後:(元伊勢伝承)福山市(神村町・今伊勢宮)
○月神(ツキヨミ)
美作:津山市(下高倉・高倉神社、大篠・大佐々神社)
○スサノオ
美作:津山市(下高倉・高倉神社、大篠・大佐々神社)
鏡野町(河内・久田神社、富西谷・布施神社)、真庭市(木山・木山神社、高屋・天津神社)
、
美咲町(錦織・錦織神社、打穴西・榊葉神社、塚角・上山宮=近くに「八神」の地名がある)
備前:赤磐市(是里・血洗いの滝と剣祓神社)
備中:倉敷市(酒津・青江神社)
○タカオカミ・クラオカミ
美作:美作市(大宮山・豊国神社)、津山市(大篠・大佐々神社)、鏡野町(河内・久田神社)
○ハニヤマヒメ
美作:鏡野町(河内・久田神社)
○オオヤマツミ
美作:真庭市(湯原・横見神社)
備中:倉敷市(笹沖・足高神社。娘のコノハナノサクヤヒメとイワナガヒメも祀る)、総社市(三輪・百射山神社)
○タケミカヅチ・フツヌシ
美作:美咲町(中・刀八神社)
備前:赤磐市(石上・石上布都魂神社、惣分・岩神神社)
○アメノコヤネ
美作:津山市(上横野・高田神社)、真庭市(高屋・天津神社、蒜山・徳山神社)、美咲町(打穴西・榊葉神社)
○アメノウズメ(オオミヤノヒメ)
美作:津山市(綾部・綾部神社)、鏡野町(香々美・大美弥神社)
○イシコリドメ
美作:津山市(一宮・中山神社)
○アメノフトダマ
美作:真庭市(田原山上・太玉神社)
○タマノオヤ
:岡山県内では重要そうな神社は見当たらない。根源社は山口県防府市の玉祖神社。
○アメノイワトワケ
美作:美作市(滝宮・天石門別神社)
○合祀
新見市(神郷油野・杉戸神社=アメノコヤネ、アメノフトダマ、アメノウズメ、タジカラヲの4神を祀る。
○ムナカタ三女神
備前:赤磐市(是里・宗形神社)
備中:倉敷市(本町・阿智神社)、矢掛町(下高来・明剣神社)
○イソタケル
備中:玉野市(広岡・五十猛神社)、倉敷市(二日市・一王子神社、酒津・青江神社)
○スセリヒメ
備前:岡山市(円山・石高神社)
備中:総社市(総社・総社)
○カミオオイチヒメ
美作:真庭市(湯原・壹栗神社)
備前:備前市(香登本・大内神社)
○アシナヅチ・テナヅチ
備前:赤磐市(和田・足王神社。但し創建は江戸時代)
○オオナムチ(オオモノヌシ、オオクニヌシ)
美作:美作市(湯郷・湯神社、位田・鷺神社)、津山市(大篠・大佐々神社)、真庭郡(新庄村・御鴨神社)
備前:赤磐市(神峰神社、岩神神社、熊山神社)、岡山市(円山・石高神社)
備中:総社市(総社・総社、八代・神神社)
○アジスキタカヒコネ
美作:真庭郡(新庄村・御鴨神社)
備前:赤磐市(由津里・片山神社)
○神武天皇
備前:岡山市(西大寺・安仁神社)
備中:笠岡市(神島外浦・神島神社)
○吉備津彦二王子
備前:赤磐市(由津里・片山神社)、岡山市(吉備津彦神社)
備中:岡山市(吉備津神社)、矢掛町(矢掛・矢掛神社、西川面・鵜江神社)、吉備中央町(案田・化氣神社)
井原市(門田町・高山千義神社)
○アメノカグヤマ・アメノホアカリ
備前:岡山市(牟佐・高倉神社)