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イギリスのリバプールというのはイギリスの中西部にある港町でジョン・レノンの父親も船員だった
リバプールのライブハウスで人気が出て、「ビートルズのレコードが欲しい」というファンが増え、その頃に
あの有名なマネージャーのブライアン・エプスタインと出会い、「ラブミードー」でデビュー その後「抱きしめたい」
「プリーズプリーズミー」などが連続ヒット、アメリカのヒットチャートをビートルズの曲が独占するような事態になった
アメリカ公演も大成功、ビートルズ映画が出来ると、これもまたまた大ヒット、日本でも公演があった
東京の武道館ライブ(内田裕也が前座)も大成功、神戸でも公演があった
映画も大成功で座る席も無いほどで、学生などで超満員、キャーキャーの連続だった
ところが、ヨーコ・オノが画面に出ると「アギャー」というような悲鳴のような声の大合唱、ヨーコ・オノの画面が出ると
「夢から冷めた、現実に戻ってしまう」というような悲鳴だろう
ジョン・レノンがヨーコ・オノ(前衛芸術家)と結婚してから、ビートルズ・サウンドも急速に変わっていった
初期の曲はライブ向けのシンプルなラブソングだったのが、複雑で政治的、哲学的な要素も加わるようになった
イギリスでアップル・レコードが設立され、ビートルズもスタジオにこもって曲つくりに励むようになったが
やはり、芸術家同士の激しい感性の争いがあり、ジョン・レノンとポール・マッカートニーがお互いにバックバンドを持って
演奏するような事態になってしまった ジョージ・ハリスンは名ギタリストの泣きのギターのエリック・クラプトンと競演
温厚なリンゴスターはオロオロオロオロ、結局、ポールは最後まで解散は避けたかったのだが、ビートルズは解散してしまった
アメリカに渡ったジョン・レノンは熱狂的なファンの銃弾であの世へ行ってしまった 衝撃的な事件だった
子爵の爵位をイギリス王室からもらったポール・マッカートニーはバックバンドのウイングスを引き連れて、その後も活躍
今でも現役で毎年、高額所得者名簿に載るほどだ インドのシタールという弦楽器に魅かれていたジョージ・ハリスンも
病気には勝てず、あの世に行ってしまった リンゴ・スターは何をしているのやら・・・・・・・・・・・・・
ビートルズの概略の歴史をたどってみたが、次章からはエピソードや名曲などを紹介してみよう
初期はやはり「プリーズ プリーズ ミー」と「抱きしめたい」の印象が強い
ラジオのヒーットチャート番組で人気が出て、アメリカのヒットチャートで連続一位、日本でも一位
当時はユニークなラジオのヒットチャート番組も多かった なんとユニークでパワフルなサウンドかと日本人もしびれた
それまでの日本にはなかった、聞いたことがなかったサウンド、、、、、従来の歌謡曲などとはまずリズムが違う
アップテンポでエレキバンド、服装も当時の日本人から見ても、ユニークだった
髪型もマッシュルームカット 長髪というのがまたユニークだった 影響されて長髪にした若者も多かった
同時に全国各地にエレキバンドを演奏して、ディスコで踊りまくるというのが流行した
最初はみようみまねで演奏していたのが、だんだんとうまくなって、キャバレーなどで演奏していい小遣いになったという例も多い
ビートルズのサウンドも新鮮だったが、ディスコのオープン、盛況、、、、など風俗文化に与えた影響も大きかった
同時にいつものことながら、あれは「不良の音楽」だなどといって、非難する有識者などという人種も登場したものだ
今では、ビートルズの「イエスタデイ」など古典の名曲という範疇に入ってしまったようだが、、、、
スーパーマーケットが日本に入ってきたときも、教員と地元商店街が連合して、スーパー排斥運動が全国的に起こったのと似ている
教員いわく「商品を黙ってカゴに入れるなど盗人の所業だ、教育上良くない」と非難
地元商店主は「スーと出てパーと消えるから、スーパーというのだ」
当時はかなりのスーパー排斥運動が繰り広げられたが、今ではそういう馬鹿なことを言うものはいないだろう
新しいものが出れば、いいものでも悪いものでも必ず反対する人が多くいる いつの時代も同じことか?
そういえば、汽車が日本に初登場したときも、その路線になった村から反対運動が起こった
「なんか黒い化け物みたいなのが、煙を吐いて走ってくるぞ、あんな化け物みたいなのは通さない」といって反対運動が起こった
結局、その汽車反対運動の結果、他の村に汽車の駅が出来、反対した村はだんだんさびれ、駅を作った村は栄えた
だいたい、どんなものでも似たようなものだが、ビートルズの日本登場のときも同じパターンで、新鮮なサウンドに飛びついた若者と
顔をしかめて非難した有識者とやらの論争が多くあった
「エレキを演奏しているときに、電源を落としてやりたい」などという反対派もいたようだ
ビートルズ日本登場から、いろんな意見があったが、アメリカでもヒットチャートの上位をビートルズの曲が独占、日本でも同様だった
アメリカの影響がモロに日本に出る傾向がミュージックの世界では強かった 今でも同様だが、、、、、、
日本でも、空前のビートルズブームになったことは間違いない、熱い熱気のある時代だった
初期のころは、もともとビートルズがリバプールのライブハウスで演奏していた関係からか?シンプルでアップテンポな曲が多い
わかりやすい曲が多かった 覚えやすい、わかりやすい曲が多かったようだ
後期はアップルレコードのスタジオにこもるようになってから、テクニックを駆使した曲が増えたせいか、ややスローテンポの曲が多い
どちらかというと初期バージョンの曲が日本人向けかな?個人の趣味によるだろうが、、、、、。
「ハードデイズナイト」というのもあったな 「アンド アイ ラブ ハー」などはスローなバラードだが名曲だろう
「マネー」なんかもドラミングが素晴らしくよく聞いたものだ
ドラムといえば、最初のドラマーはピート・ベストというドラマーだったが、リンゴ・スターに変えられた
ピート・ベストはビートルズのメンバーに入れず、儲け損なった リンゴ・スターのドラミングの腕は素晴らしい
一曲ごとに、ドラミングを変えている ここらあたりが凡人ではなかなか出来ない、目立たない存在だが渋い脇役だ
ベンチャーズのドラムなどは、ほとんどが同じ調子で「ズンタタタッタ、ズンタタタッタ」の繰り返しなのでマスターしやすい
インスツルメンタルのバンドも多かったようだ
ビートルズの名前の由来も諸説あっって、「ビート オールズ」「カブトムシから来た」とか言われているが多分、カブトムシ
ブートルから来たものだろうと思える 初期のころの曲は古代エジプトの音楽の影響を受けているという説もある
ビートルズのライバルといえば、ローリングストーンズ 、ビートルズより過激というか、ハードなバンドだ いわゆるハードロック
以前にイギリス人でロンドン在住のロバート君と話したら、こちらはビートルズファンだというと、あちらはローリングストーンズだった
ロンドンのシティーボーイでも、ビートルズ派とローリングストーンズ派に分かれているようだ
ロンドンではキングス イングリッシュをしゃべるのか?と聞いたら、イヤ、ロンドン市民特有の庶民語のポコだったか、ピコだったか
をしゃべるとか言っていた
イギリス人とも音楽談義から歓談できるのはなかなか素晴らしい
なんといっても、イギリスから出て世界を席捲して、レコードの売り上げでも国に相当貢献したようだ
それで、ポール・マッカートニーなどは女王陛下から子爵の位をもらったほどだ イギリスの誇りだろう
リンゴ・スターなどは顔からすると、なんだかユダヤ人というか、ユダヤ系という感じがするなあ
ジョージ・ハリスンはイギリスの好青年という感じ、ポール・マッカートニーはアイドル的な感じがする
なんといっても、ビートルズらしい男といえばジョン・レノンだな 完全な天才だな 彼は。
他にもホリーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、フレディ・アンド・ドリーマーズなどがいた
ドラムスのリンゴ・スターのいたバンドはロリー・ストーム・アンド・ハリケーンズ
リバプールの少年たちが夢中になっていたのが、アップテンポでビートの利いた黒人のロックミュージック
リバプールのライブハウスで鍛えられたビートルズは、その後のアメリカ公演、世界ツアーなどでも十分実力を発揮した
1963年、ケネディ暗殺の年だが、ビートルズは「プリーズプリーズミー」などでイギリスのヒットチャートで1位を獲得
1964年1月16〜2月4日日はフランスツアー これが大成功
1964年2月1日 アメリカのヒットチャートで「抱きしめたい」が1位になる
1964年2月16日 アメリカの人気テレビ番組「エド・サリヴァン・ショー」に出て、生演奏、人気が爆発した
このエド・サリヴァン・ショー出演をきっかけに、アメリカで人気爆発
「キャント・バイ・ミー・ラブ」がアメリカで5週連続1位、
1964年6月4日〜30日 ワールド・ツアー デンマーク、オランダ、香港、オーストラリア、アデレイド
1964年7月6日 ビートルズ主演映画「ア ハード デイズ ナイト」イギリスで公開
1964年8月19日〜9月20日 アメリカ・ツアー カナダを含む25都市で32回公演
このアメリカ・ツアーの大成功でビートルズの音楽がアメリカで人気大爆発、ビートルズ・フィーバーというような社会現象が起こった
ビートルズが来る空港、ビートルズが泊まるファンが殺到、大混乱になるというような現象が起こった
ビートルズ日本公演のときもファンなどがホテルに殺到、ビートルズはホテルに缶詰状態というようなことになった
音楽、映画、ライブツアー、、、などでビートルズが与えたインパクトは強く、その大成功を見て
イギリスでもニューキャッスル出身のアニマルズがアメリカへ進出、「朝日の当たる家」アメリカヒットチャート一位になった
だいぶ遅れてイギリスのローリング・ストーンズが「サティスファクション」の大ヒットを飛ばし、アメリカで一位にになった
日本でも、その影響を受けて、グループサウンズが次々と誕生、スパイダーズ、ブルーコメッツ、タイガース、テンプターズ、、、
など数多くのバンドが誕生した
社会風俗的にも、最初はダンスホールといわれていたのが、ゴーゴー喫茶とかライブハウウスとか言われる生バンド出演の場所が生まれた
若者が踊り狂う場所として人気だったが、活気のある空間だった 踊り方にも流行があるようで場所、時期によって変わっていた
ビートルズ出現前と出現後では音楽的にもそうとう変わって行き、社会風俗的にも変わっいった
ビートルズの出現は空前にして、絶後といえるほどのフィーバーぶりだった
●ポール マッカートニー Paul McCartney
使ったギター ヘフナー500・11 Hefner 500/1
セクション ベースギター
生年月日 1942年6月18日生まれ
ビートルズの中ではアイドル的要素を持つ 作詞、作曲も得意
「イエスタデイ」「ミッシェル」などの名曲もポールの作詞作曲だ 現在はウイングスを率いて活躍している
アマチュア楽団で活躍していた父親からピアノを教わる イギリスの輸出に貢献したことで子爵を女王陛下から授けられる
●ジョージ ハリスン George Harrison
使ったギター グレッチ・カントリー・ジェントルマン Gretsch Country Gentleman
セクション リードギター
生年月日 1943年2月24日生まれ
ビートルズの中では物静かな男といわれる リードギターは抜群にうまい パティーと結婚したが妻のパティはハリスンの親友の
エリック クラプトンと再婚(後、離婚)インド楽器のシタールなどに魅かれインドをたびたび訪問する
4人兄弟の末っ子として生まれ、10代からギター一筋、ギターテクニックは超一流
●リンゴ スター Ringo Starr
使ったドラム ラディック・オイスター・ブラック・パール・セット Ludwig Oister Black Perl Set
セクション ドラムス
生年月日 1940年7月7日生まれ
リバプールのロリー・ストーム・アンド・ハリケーンズの人気者ドラマーだったのをビートルズにスカウトされる
「イエローサブマリン」は珍しくリンゴが歌っている ドラミング技術はスゴイ